そうした、生きるために必要な行為、つまり「人の心のありよう」を法によって規制しようとする輩の頭のなかは、完全にひからびているとしか思えない。おまわりだって、非番のときには夜中まで飲んだり歌ったり、あるいはソープで遊んだりすることは間違いなくあるはずだ。その彼らが、自らの思いや行為と矛盾することを知りつつ、盛り場での時間規制を強いるナンセンス。そろそろ頭を冷やして、まともな警察業務に取り組むことを考えたほうがいい。振り込め詐欺などをはじめ、ほかにやるべきことは、山ほどある。ただでさえ長引く不況に輪を掛けるような営業妨害まがいの取り締りは、即刻、やめるべし。
負けるな、歌舞伎町人! これからも「My garden歌舞伎町」をこよなく愛する不肖・江藤は、野暮な国家権力に向かってひたすら吠えつづける!
新宿・歌舞伎町にはいろいろな人種がいる。いろいろな風景がある。じつに雑多なヒトとモノにあふれている。それも、ピンとキリでいえばキリが圧倒的に多いからおもしろい。つまり、ハンパな人間の吹きだまりが歌舞伎町なのだ。むろん、この私も含めて……。
そして、このハンパ者たちのエネルギーが、歌舞伎町を日本一の歓楽街として発展させてきた。水商売はもとより、性風俗、ゲーム屋、ヤクザなど、数えきれないはみだし人間がこの街でうごめいている。娼婦がいる。ポン引きがいる。ホストと称するホームレスもどきの怠け者たちが街中をうろうろしている。
クラブ、キャバクラ、パブ、スナックが主流ながら、キャッチバーやぼったくりキャバクラも隠れて存在する。レストラン、割烹、居酒屋、花屋、ブティック、映画館、遊技場がある。はたまた、ピンクサロン、デリバリーホテトル、性感マッサージ、ソープランド、ヌード劇場、ラブホテルなどの性風俗産業がひしめく。
まさに高級と低俗、優と劣、強者と弱者といったもろもろの「聖」と「俗」とが、巨大な雑踏の中で押しあいへしあいながら共存している。酒も女もファッションも、歌舞伎町では欲しいと思ったものが値ごろで即座に手に入る。裏DVD、違法ドラッグが平然と売られている。覚醒剤、拳銃だって望めばそれなりに自分のものになってしまう。売るヤツがいて、買うヤツがいる。モノもヒトもである。
韓国、台湾、中国、フィリピン、タイ、南米、アフリカなどの不法就労者を含めた無法な外人どもが、徒党を組んで街をカッポする。完全に思考停止した若者が徘徊し、それに輪をかけた非行中年が出没する。ごく普通のサラリーマンも、一歩この街に足を踏み入れたとたんにトラにもなればオオカミにもなる。それをとがめる人もいない。歌舞伎町は誰にもしばられることなく、自由気ままに行動できるおとぎの国なのだ。
多くの人は、まるでこの、ごった煮のような、あるいは、おもちゃ箱をひっくり返したような異界ともいえる歓楽街の雑踏の中に身を置くことで、ひとときの心の解放感を味わう。堅苦しいだけの常識やモラルは、ある意味、無用なのだ。モラルのみを主にこの街を構成すれば、瞬時にして「猥雑」という名の魅力が消え失せてしまうだろう。
昭和から平成へと時代が大きく動いたあのバブル経済華やかなりしころ、東京都庁移転にからんで、それこそ札束でツラをひっぱたくようなすさまじい地上げのアラシが新宿の街を席巻した。やがてその狂乱地価ブームが鎮静化に向かったかと思うまもなく、今度はビル建設ラッシュの嵐。
そして、バブル崩壊後の長い経済低迷を経てきたいま、まやかしの美辞麗句が街中を飛び交う。
「歌舞伎町を明るく健全な街に!」
「安心で安全な街に浄化しよう!」
若いころさんざん歌舞伎町で遊んでおきながら、いまではすっかり役立たずになってしまったジジババ政治家や事なかれ主義に凝り固まった役人どもが、シタリ顔でわめきちらす。「政治」の力で、歌舞伎町の「性事」を剥ぎ取ってしまえという魂胆だ。
「フン、なにをホザく。歌舞伎町が歌舞伎町らしくなくなったらなにが残るってんだ!」
私もホザき返すが、脳内にコンクリートを流し込んだようなカチカチ頭の輩の耳には遠くとどきそうにない。そりゃそうだ。耳なんてロクに聞こえないほど、すでにモーロクしているんだから……。
歌舞伎町はもともと《合衆国》のようなものだ。田舎者がいかにも都会人のふりをしながら、寄りあい所帯でつくり上げてきた盛り場だからである。もっともらしい仕種や表情をしていても、いまいちアカヌケない。銀座や赤坂、六本木などの、一見、洗練ムードに比べるとどこか崩れている。だが、このダサッぽさ、ウサン臭さこそが歌舞伎町の歌舞伎町たる所以である。
歌舞伎町は「なんでもあり」のアブナい魅力に満ち満ちた歓楽街であり、遊び場なのだ。そこからかもしだされる一種独特のいかがわしさや澱みたいなものを取りのぞいてしまったら、たちまちにして「らしさ」がなくなってしまう。
だいいち、盛り場で遊んだこともなく、また、一度や二度ボッタくられた経験も持たないような無菌状態の人間なんて、味も素っ気もない。人間、せめて若いときくらいはちょいとばかり裏の世界をのぞいてドキドキしたり、ハメをはずして後悔してみたりといった体験がなけりゃ、でっかくはなれないと私は体験的に思う。この街は正常な欲望と若い心を持つ人たちのオアシスなのだ。聖人君子やフニャチンのオイボレどもが出っ張ってくるところでは、断じてない。
それでも時代のスウセイ。健全もいいだろう。浄化もよしとしよう。しかしいま、司法・行政にかかわる彼らがめざし、また行っていることは、歌舞伎町という日本一の盛り場の灯を消すことにほかならないと私は断言する。
コンビニを皮切りに、ネット、スマホなど、24時間そのものをまるで意識することなく日常を過ごす現代社会にあって、営業許可を得て憩いの場を提供しているクラブやキャバクラに、午前1時を過ぎたら営業するなと規制し、守らねば摘発におよぶという大馬鹿ナンセンス……。
つまり、デリバリーと称する性風俗産業での女の宅配便営業は終日OKで、深夜、男と女が楽しく飲み交わしながら歓談したり歌ったりするのはダメという論法だ。まるで時代錯誤丸出しの風営法を、住宅街ならばともかく、眠らない街・歌舞伎町で振り回すこと自体、街の経済活動を大きく阻害し停滞させるということに、無能な政治家や役人は思い至らない。
反面、規制を厳しくして取り締まるべきアフリカ系黒人の執拗な客引きや、路上で、無防備なプッツンギャルをたぶらかしては店に引っ張り込んでボッタくるキャッチホストなどは野放しのままという怠慢ぶり。まさに「木を見て森を見ない」典型である。盛り場のなんたるかを解さず、やみくもに健全だの浄化だのとトンチンカンな規制をしてみたところで、いったいなにが変わるというのか。チャンチャラおかしくて、ヘソが茶をわかすどころかメシまで炊けてしまう。
盛り場が果たす役割はけっして小さくない。遊びという無上の歓びを通じ、人との関わり、心の痛み、温もりなどといった人情の機微、善き処世の材料を提供してくれるすばらしい反面教師なのだ。街の存在意義や方向性を誤ると「らしさ」や「情緒」までもが根こそぎ失われてしまう。じつに愚かしいことといわなければならない。
そのうちこの街が、無味乾燥なコンクリートジャングルになってしまっても、いい? オジさん、知らないからね……と、ブツクサ文句をならべ立てているこの私は、歌舞伎町が好きでたまらない。好きで、好きで、大好きで~、と歌ってしまうほどに愛してやまない街だから、ついつい文句タラタラとなってしまう。
昭和40年代の昔、扇ひろ子という歌手が歌った『新宿ブルース』というヒット曲があった。
西を向いても ダメだから
東を向いて みただけよ
どうせはかない なみだ花
夢に流れて ゆくだけね
3番の歌詞だが、まさにこれである。名もない無数の人々が、こっちがダメならあっちがあるさと流されつつ生きていくブルースならぬ、ぶるうすの街、新宿・歌舞伎町……。
この街での成功譚は山ほどある。それはそれでけっこうだが、どちらかといえば、だまされた。泣かされた。逃げられた、殺された……そんな物語が合っている。歌舞伎町にはふしあわせがよく似合う。
じつのところ、私もあの少年の日、はじめて歌舞伎町の街に足を踏み入れてはや半世紀。この狭くも壮大な「歌舞伎町劇場」を舞台に、ハンパな主人公やら脇役を演じつづけてきた。いまでこそ偉そうなことをいってはいるが、昔はお定まりのやんちゃくれ。喧嘩もした。警察にも捕まった。女を泣かせてもきた。人の心の痛みを解することなく、怠惰で刹那的な日々を過ごしてきた。まさに、歌舞伎町という街の”居心地のいい閣”を突っ走った青春であった。
爾来、幾星霜……。
歌舞伎町の街並みも空気も世代も、そして私も変わった。だが、長くも、あるいは短いようにも思える歌舞伎町劇場のページをひもとくとき、過去は現在のうしろの正面に厳然と存在し、そして、現在がまぎれもなく、歌舞伎町での過去の積み重ねであることを実感せずにはいられない。
歌舞伎町は温い。まるでおっかさんの子宮に包まれてでもいるようなこのぬくもりが失われないかぎり、歌舞伎町は誰がなんといおうとも、また、どれほど規制をかけようとも日本一の盛り場であり、不滅の街なのである。 (了)